2003年4月15日 スターまるかじりインタビュー
【第10回目】渚 ゆう子
今月は、ベンチャーズサウンド「京都の恋」「京都慕情」で昭和40年代半ばを代表するシンガーとなった渚ゆう子さん。レコードマニアの間でも人気を誇る渚さんの魅力に迫ってみました!
民謡歌手からハワイアン歌手へ。そして・・・
(ぢゅん)「京都の恋」「京都慕情」って言うぐらいですから、京都出身なんですか。
(渚) みなさんによく「京都生まれですか」って言われるんですが、生まれは大阪の浪速区です。
(ぢゅん)そうなんですか。おしとやかな感じも京都って感じだったもんですから・・・。
(渚) 母は沖縄出身なんです。小さい頃から沖縄民謡や舞踊に親しみながら育ちましてね、自然に芸事に積極的になりまして、気づけばステージに立ってました。
(ぢゅん)芸能界の最初は民謡歌手だったんですって?
(渚) そうなの。久葉真鶴って民謡を歌っている時に、マヒナスターズの皆さんと出会いまして、和田弘さんに「上京しないか」って勧めらてまして、マヒナさんと一緒のステージを踏ませていただくことになったんです。
(ぢゅん)ここで渚ゆう子という芸名になったんですね。
(渚) はい。松平直樹さん(マヒナスターズ)に付けていただきました。私の声がハワイアンに向いているということで、マヒナの皆さんと本場へ行きハワイアンを勉強しました。
(ぢゅん)昭和42年にマヒナスターズをバックにしたハワイアン歌謡「早くキスして」でデビューされたわけですね。
(渚) ラッキーなデビューでした。でも、その後ソロとして数枚出したレコードはあまり売れなくて・・・。(笑)
(ぢゅん)実は「京都の恋」でブレイクする前の3年間のシングルは、中古レコード業界で高値で取引されてるんですよ。たとえば「とげのないバラ」とか。
(渚) よくそんな歌知ってるわね。体に白い毛を巻きつけたジャケットでしょ!かなり色っぽいジャケットよ。
(ぢゅん)これはセクシー系でしたね・・・。こういった隠れたレコードこそマニア心を擽るんです。ハワイアン歌謡、セクシー歌謡を経て、昭和45年にあの「京都の恋」で巡りあうわけですね!
(渚) 「京都の恋」から3年間は全く寝る暇がまったくありませんでした。次から次にヒットさせて頂いて、テレビ、コンサートと全国を走りまわってましたからね。
(ぢゅん)「京都慕情」で紅白歌合戦に初出場し、「さいはて慕情」でレコード大賞歌唱賞ですもんね。「さいはて〜」は筒美京平さんの作品ですね。
(渚) 筒美さんのメロディーはとても洗練されいて、おしゃれなんですよ。この歌もそうですし、「雨の日のブルース」とか、いい歌をたくさん作っていただいてます。今でもショーでは必ず歌ってます。
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(渚) 3年前に父が他界したんですが、6年間は母と二人で父の介護をしてまして、お年寄りと接する機会が増えましてね。これがきっかけで老人ホームの慰問するボランティア活動をするようになりました。笑うことも忘れたお年寄りが、私の歌で笑顔になってくれるのが嬉しいんです。今後も続けていきたいですね。
(ぢゅん)これからの“歌手・渚ゆう子”としては他にどんなことをしたいですか。
(渚) そうですね。マイペースにいい音楽を続けていきくのと同時に、「日本のハワイアン」を背負って立ちたいですね。
(ぢゅん)渚ゆう子の原点ですね!最近はあまりハワイアンを聴く機会もないですし、是非とも何らかの形で、ハワイアンを歌ってください。
【ぢゅんちゃんのインタビュー後の感想】
いつも誰にでも笑顔を絶やさない渚さん。ほのぼのとしたオシャベリで終始リラックスさせていただきました。ありがとうございます。

