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スターまるかじりインタビュー 

2003年9月15日号スターまるかじりインタビュー
【第15回目】 高田恭子

♪恋はみじかい 夢のようなものだけど〜今もなお色褪せない浜口庫之助メロディーの名曲「みんな夢の中」をヒットさせたのが高田恭子さん。昭和44年にデビューしその年の日本レコード大賞新人賞や、紅白歌合戦にも出場し、その後も歌番組や司会で活躍されました。

元々はフォーク畑

(ぢゅん)デビューのきっかけはフォークだったんですよね?

(高 田)中学の頃から関西でフォークを歌ってたんですよ。杉田(杉田二郎)さんや、後藤(後藤悦治郎)さんなんかと一緒でした。

(ぢゅん)「竹田の子守唄」は高田さんがはじめに歌ったんですよね。

(高 田)そうなんです。でもわたしはその後マイク真木さんにスカウトされまして、上京しちゃったんです。

(ぢゅん)ザ・マイクスですね。

(高 田)そうです!マイクさんが率いるフォークグループでした。「星空のマサチューセッツ」という歌だったんですが、とてもいい歌で大好きでした。

(ぢゅん)そして高田恭子としてデビューするのはその1年後になるわけですね。

(高 田)はい。その後マイクスが解散しまして、友人の薦めもあって「第1回カンツォーネコンクール」に応募しました。発声の基礎も一からやり直しました。とても上手な方たちばかりだったんですが、みなさんレコード会社に所属してたりして落ちちゃうんですね。で、どこにも所属してない私が優勝しまして・・・。ラッキーですよね。

(ぢゅん)これがきっかけでデビューしたわけですね。「みんな夢の中」を最初に聞いたときはどんな感じでしたか。

(高 田)浜口先生の作られた作品はどれも好きでしたのでとても嬉しかったのを覚えてます。これが私のデビュー曲なんだとえらく感動しました。

(ぢゅん)高田さんがデビューした昭和44年は、新人歌手の華ざかりでしたね。ちあきなおみさん、ピーターさん、千賀かほるさん、内山田洋とクールファイブの皆さん・・・。

この当時の思い出で一番強く残ってるエピソードがあれば教えてください。

(高 田)そうですね、沢山ありますけど、やはりレコード大賞の新人賞の思い出でしょうか。みんなライバルと言うより仲間意識が強くて、生放送中ドキドキしてみんなで手を繋いで励ましあったりしたんです。もう誰が最優秀新人賞を獲ってもいいじゃないみたいな。(笑)今でも千賀(かほる)さんとは仲がいいですし。

引退、結婚

(ぢゅん)昭和55年に引退し結婚されましたね。

(高 田)まぁ、いろいろありましてね。10年歌ってきてこのまま結婚もせずに歌っていていいのか・・・という不安もありましたんで、辞めるときはスパッと辞めました。

(ぢゅん)その後京都に移り住んだんですよね?(現在は神奈川県・在住)

(高 田)そうですね。近所の人は私だってことに気づかなぐらい、普通の主婦になってました(笑)

(ぢゅん)カムバックなさるまではまったく歌ってなかったんですか。

(高 田)はい、まったく。テレビ局の方からお電話頂いてもお断りしてました。ただ、CDショップに行くと私のCDが顔付きで並んであったりすると驚くやら、恥ずかしいやら、うれしいやらで、お友達に代わりに買ってきてもらったりしてました。(笑)

(ぢゅん)平成9年、17年ぶりにテレビ「思い出のメロディー」で復活されたときはどんな気持でしたか?

(高 田)久しぶりに歌うのでとても緊張しました。ガクガクブルブル・・・。テレビを見てた友人まで緊張して食事も喉通らなかったみたいで、終わった後やっと食べたって言ってました。

(ぢゅん)僕もテレビで拝見してましたけど、ブランクを感じさせない歌声で感動しましたよ。

(高 田)ありがとうございます。おかげさまで今は楽しみながら歌えるようになりました。

(ぢゅん)今はどんな活動をなさってますか。

(高 田)ホテルでのショーや、歌手仲間と一緒に昭和歌謡のコンサートを開いたりしてます。

(ぢゅん)今度機会があればお邪魔したいと思います!ありがとうございました。

【ぢゅんちゃんのインタビュー後の感想】

あの鼻にかかったハスキーな歌声は健在でした。一節歌っていただいて感無量でした!お忙しい中お時間を割いていただき本当にありがとうございました!!

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